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あいまい言葉の定義は多数決?!

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私はアスペルガー症候群でしーた♪-あすぺさん_180

【お知らせ】
あすぺさん本☆第2弾「発達障害 工夫しだい 支援しだい」
発売情報はこちら→記事:【お知らせ】あすぺさん本の第2弾がでます♪


今日は、よく使われる「あいまい言葉」についてのお話です。

最近、ある人と「○時過ぎ」に待ち合わせをしました。

私は、○時5分前に待ち合わせ場所について待っていました。

○時ちょうど。まだ来ません。
まぁ、「過ぎ」ですから、ちょうどよりは後ということですもんね。うん。

○時5分。まだ来ません。
まぁ、「過ぎ」って言うぐらいですから、5分すぎてからだよね。そろそろだねー。

○時10分。まだ来ません。
そろそろかなーと思うんだけど…。

○時15分。まだ来ません。
まだ?!
なんぼ「過ぎ」って言っても、15分も過ぎたら、過ぎすぎやろーっ(怒)

結局、○時17分ごろに相手の方は来られました。

ところが、まったく気にしている風もないところを見ると、本人的には「遅れた」という意識もないようです。つまり、本人的には「○時過ぎ」=「○時15分ごろ」という意味だったようです。

ちなみに、以前この人と○時30分で待ち合わせをした時、私が余裕を見て乗ったにもかかわらず、電車の延着で約束の時間に2分ほど遅れた時には、モーレツに不快な表情をしてました…。(理由を言ったら納得されましたが。)そんな方ですから、自分が遅れて知らん顔ということはないでしょう。

そう考えると、15分ごろというのが、この人の考える「○時過ぎ」なのでしょう…。

そこで、ふと「○時過ぎ」って、何分ごろのことを言うのだろう?と疑問に思ったのです。

私の中での「○時過ぎ」の定義は、○時5分~10分ぐらいでした。

で、インターネットで検索してみました。
「〇時過ぎ」という表現ですが、「過ぎ」とは何分までを指すのですか?
3時過ぎって何分までですか?

これを見ると、人によって、かなり定義がばらつきますね。
私と同じ5~10分という人もいれば、15分ごろ、30分までOKなどなど…。

不思議です!!!

これだけ個人の感覚でばらつきがあるにもかかわらず、みんな黙ってやり過ごしているわけですから…。しかも、微妙に不満をためながら…。

○時過ぎについて定義が違う人が、○時過ぎって約束するたびに、待たされる方には、小さな不満がたまります。しかも、遅れてきた方は、「遅れた」意識も「待たせた」意識もないので平然としています。

気づかないうちに、相手を不快にしているんですよね。
(↑まぁ、発達障害の人の場合は、よくある話ですが…(笑))

ところで、私は、あいまいな言葉に対しては、自分なりの基準を決めて、それにしたがって自分なりの定義を作っていることが多いです。

もちろん、私は「○時過ぎ」に15分や30分というのが範囲に含まれないと考える理由もきちんとあります。

「○時過ぎ」という表現は、あくまでも「○時」=「○時00分」を基準にして、○時00分から「過ぎた時刻」と考えているから。(「○時過ぎ」の「○時」は「○時の時間帯」という意味では捉えていないのです。)

つまり、○時00分を基準にして表現するということは、00分から大きくかけ離れた時間ではおかしい。大核かけ離れるなら、もはや00分を基準にすることに意味がないですから。もっと、近い時刻を基準にすればいいわけです。

ここで、私の中での「大きくかけ離れる」の基準は、1時間の4分の1(=15分)です。全体の4分の1は、私の中ではもはや「誤差」や「少量」ではないからです。ですから、私の中では、1時間の4分の1(=15分)も離れるんなら、○時15分と表現すべき、と考えているわけです。

そうすると…
「○時過ぎ」の表現は、15分以下。「過ぎ」というあいまい表現を使うのは"大さっぱな時刻"の指定という意味ですから、時計の大きいメモリの単位で数えます。すると、15分以下の大きいメモリだと、10分が限界。
もちろん、「過ぎ」ですから、00分ちょうどは含まれません。大きいメモリ1つ分=5分からが範囲になるかな…と。

…という考えで「○時過ぎ=○時5~10分」と考えていました。
同じ論理で「○時前」は○時の5~10分前だと考えています。

私自身が、わざわざ「○時過ぎ」という言葉を選択する場合には、「○時ちょうどっていうほど、厳しくは指定しないけど、その時間めざして来てね」というニュアンスを含めて使っていました。


あまりにも、かけ離れた「○時過ぎ」の解釈を知って、今後は、使わないようにしようと思いました…。だって、こちらの含めたニュアンスが伝わる確証がない上に、相手の定義と違っていると、内心で不満をためてしまうことになりますから…。

もちろん、私の定義が正しいか誤っているかという議論は、まったく意味がありません。そもそも、「正解」がない問題ですから。

あいまい言葉は、自分の解釈・定義が大多数の人と一致するかどうかが問題なんですよね。このあたりも、発達障害の感じ方に対する問題と非常に共通する部分があります。

この社会では、「少数派の行動」=「非常識」「不正解」とされてしまうということ。

つまり、単なる数の問題で決められている「非常識」「不正か」という判定は、たいした根拠がないわけです。そう考えると、「常識」にとらわれてがんじがらめになるのは、ばかばかしいことに思えますね。

とは言っても、現実には無視するわけにもいきません。
ただ、「○時過ぎ」という言葉のように、人によって受け取る意味がかなり異なる言葉の場合は、少なくとも、大切な状況やビジネスの場では、こうしたあいまい言葉を使わないようにすることで回避するしかありませんね。

もし、「○時過ぎ」と指定されたら、「過ぎですかぁ…。じゃぁ、○時10分ぐらいに行くようにしますね。」と、こちらから時刻を宣言しちゃいましょう。


みなさんは、「○時過ぎ」って何分ごろだと思ってました?
周囲の人と話をしてみると、意外に驚く答えが返ってくるかもしれませんよ。(ついでに、意図せず与えていた誤解もとけるかも…?!)

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穴があったら入りたい…

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今日は、ちょっとテンパりすぎました…。

今、こんな感じです↓

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講演をしてきました。【追記】

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昨日、某所で当事者として講演をしてきました。

対象は当事者・家族ではなく、いわゆる支援側の専門家のかたがたでした。

このブログは、主に当事者や家族を対象として書いていますので、あまり辛い、苦しい、恨み、辛みという話は書かないようにしています。書く場合も、できるだけ、最終的にはどう対処して「より生きやすく」できるかを考えるようにしています。

昨日は、対象が支援の専門家であったこともあり、辛い・苦しいという部分についてお話をしてきました。1時間半の中に詰め込みすぎたので、どこまで正確に伝わったかわかりません。

なかなかうまく表現できなかったこと、伝え切れなかったこともたくありました。

以下は、講演をした後で、改めて考えたことです。(講演の内容ではありません。)
書かないと忘れてしまうので、自分自身の備忘録代わりに、記事にしておきます。

----

私自身が、いつも気になっているのが、
「発達障害の診断を受けると、自分のせいではなかった、と安心する。」
ということが、一般的に強調されすぎているということ。

安心するのは事実です。

ただ、本当に支援が必要なのは、その後から湧き上がるさまざまな心の変化の時期だと思うのです。
しかし、現実として、この点に焦点が当てられることが少ないように感じます。

私の場合は、診断を受けた直後は、「自分のせいではなかった」と安心しました。
けれど、その後の落ち込みがひどかったのです。その経緯については、ブログの初期の頃の記事に書いていますので、そちらを読んでいただければと思います。

テーマ:診断後の気持ち

発達障害の診断を受けるまでは、漠然と「何かが違う…」と感じていたものが、診断を受けて診断名がついたことで、はっきりと「自分自身の感覚は社会の大半の人々に受け入れられないものである」という事実を真正面からつきつけられることになります。

人として、「あなたは受け入れられない」と真正面から宣言されることが、
どれだけ衝撃的なことであるか。

それが、特定の相手ではなく、
自分が生きている社会の大半の人々に受け入れられないという事実。


その事実を知った上で、

なおかつ、その事実を受け入れて

さらに、心を奮い起こし立ち直って

「受け入れられない」社会に戻らざるをえない。


そんな過程を乗り越えなくては、社会へ戻れないわけです。

誰にも受け入れられないとわかっている場所へ戻っていく人の気持ち

人の気持ちを想像できるという方々ならば、いとも簡単に想像できるはずです。


生育過程の中でいじめや差別にあって人間そのものへの不信感が根強い中で

受け入れられない人々の中での不安

身の置き所のない焦燥感

発達すべき部分が"未発達"であると決め付けられた診断名による劣等感


それらを乗り越えるのには、強靭な精神力を必要とします。

つまり、発達障害の人は、フツウの人がフツウに生活する社会で暮らすというだけで、強靭な精神力を要求されるということなのです。

フツウの人でも「強靭な精神力」を持っている人が、どれだけいるでしょうか。

(追記↓)
そう考えれば、強靭な精神力をもってできることが「当たり前」ではなく、できないことのほうが「当然」なのです。

支援する人に求められていることは、その心を支えて社会へ送り出すことなのだと思います。
(追記↑)

そして、今、いろいろな問題を抱えながらもふんばっている発達障害の人は、それだけで「強靭な精神力を持っている」と自信を持ってほしいと思います。

もちろん、これは発達障害だけでなく、全ての障害を持った人、さまざまな病気を抱えた人に共通することです。

支援をする人・周囲の人は「フツウの人の中で異端として生きる」ということが、どれだけの「強靭な精神力」を強いられることか、ということに、思いをめぐらせてほしいと思います。

そして、本人の意志で「異端」を選んだわけではないことも。


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【常識って?】九九ができなければ落ちこぼれ?(追記あり)

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最近、読んだ本。
脳科学者の池谷裕二先生とコピーライターの糸井重里氏の対談をまとめた「海馬」という本。

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)/池谷 裕二

¥620
Amazon.co.jp

不思議な組み合わせの2人が脳の記憶をつかさどる「海馬」について対談しています。

お2人とも非常に頭が柔らかい。読んでいると「おおーそういう方向へ話が向かうのか~」「えー!確かに言われてみれば~」と、内容そのもの以上に話の膨らみ方や、たとえ話の仕方におどろきます。

脳の不思議の話は、この本を読んでいただくとして…(え?そうなん?)

実は、この対談の中で池谷先生の超おどろきのエピソードを見つけました。

(抜粋 - 始) ※文中の太字・記号は私がつけました。
p276
■糸井 
雑誌の対談で池谷先生にはじめてお会いした時に、「東大薬学部に進学するときも大学院に進学するときも、池谷さんは首席だったんですよ」と紹介されたんだけど、池谷さんは昔からよくできる子だったのですか?

●池谷 
小学生のときは、いつもビリから数えて何番目という程度でした。

■糸井 
え?

●池谷
実際、ぼくは今でも九九ができないんです。当然、算数もあまり解けなかったです。

■糸井
今、理系なのに。

●池谷
漢字も憶えなかったんですよ。漢字のテストの時のことはよく覚えてるなぁ。小学校六年生ぐらいで、小学校で習うぜんぶの漢字の試験があったけど、ぼくが書けたのはふたつだけだった。
(抜粋 - 終)


えええええ?!
九九を憶えずに、どうやって中学・高校と数学を解いたの??…って思いますよね。

(抜粋 - 始) ※文中の太字・記号は私がつけました。
p280~282
●池谷
その頃は経験メモリー(方法記憶)なんていう概念を知らなかったのですが、記憶力が弱くても何かをやった時の方法がわかっていれば、テストには十分に対処できることが実感としてわかりはじめました。
最小限のことだけを憶えれば、あとは理詰め(方法の組み合わせ)で導き出せばいいから。ぼくは数学も公式もほんとうに覚えないのですが、毎回毎回、試験のたびに公式を導き出していればいいわけなんです。
---(中略)---
毎回公式を導き出すから、丸暗記しているよりも試験で時間がかかってしまうのですが、でも、ある時気づいたんです。「公式を丸暗記している人よりも、公式を導き出せる人の方が、原理を知っているから応用力があるんじゃないか?」って。
---(中略)---

■糸井
経験メモリーに頼らざるをえなかったのが、伸びる理由だったんだ…。
九九ができないというと、池谷さんって、「九かける八」をどう計算するんですか?

●池谷
90から9を二回(18)ひくと「72」ってでてきます。
---(中略)--

●池谷
はい。九九を81個も暗記するより、ぼくの方法なら10倍することと2倍することと半分にすることの三つの方法だけで全部できる。ぼくはぜんぜんものを覚えられませんから、方法を覚えるしかないんです。
(抜粋- 終)


なるほどー!

ここで大切なのは、
「できないこと」があったからこそ、「別の方法」を模索した。ということ。
それによって、フツウの方法ではありえない、知識の広がり・思考力の強化へとつながったわけです。


池谷先生は、苦手な「九九の暗記」を回避して、自分ができること(10倍、2倍、半分の計算)を組み合わせて、最終目的の「計算の答え」を出しているわけですね。

九九が暗記できない → 暗記が苦手 → なんとか暗記できるようにがんばらせる
という行動が一般的です。学校の先生なら、基本的にこのスタンスでしょう。

これこそが、発達障害の人が困る代表的な指導方法なのです。

よく考えてみましょう。
そもそも九九は、「正しい計算をする」ための道具に過ぎません。
最終的な目的の「正しい計算ができる」なら、道具は九九でなくても良いはずです。

目的は「正しい計算ができる」ようになること。
目的達成のために必要なのは、「正しい計算ができる」道具を探すこと。
九九にこだわる必要はまったくありません。

池谷先生の方法は、めんどくさいじゃないか?憶えた方が早いのに?

インドでは、2桁×2桁の九九を憶えるらしいです。インド人からみたら、「日本人は1桁の九九しか憶えられないんだと。いちいち1桁の掛け算とか、めんどーなことしてるらしいよ~?憶えたら早いのにねぇ~」って思われているかもしれません。

でも、日本人は不便なく計算できてますよね?
もちろん暗記した方が早いでしょう。
でも、いまから2桁×2桁を暗記しますか?

それと同じです。
"自分が"やりやすい方法を基準にして、「めんどくさい」と批判しているだけのこと。

九九を完全に憶えてなくても、きちんと計算できればそれでOKなのです。
(実際に、池谷先生はそれで中学数学も高校数学も乗り越えてきたから、東大へ行ったわけです。)

つまり、
正しい計算をするという目的を忘れて、九九という道具にこだわる
という、まさに本末転倒な周囲の反応が問題なのです。

発達障害の人は、フツウの人が使う道具が使いにくくて、オリジナルな道具が必要なことが多いのです。

実は、私自身も高校数学では、公式を覚えない人でした。
私が高校で急激に数学が得意になったのは、最小限の公式だけ憶えて、それ以外は導き出すという方法をとったからでした。

私の場合は、自分で気づいたのではなく、塾の先生(灘高出身で当時、有名大学医学部生)に、「原理をきちんと理解していれば、ほんとうに憶えるべき公式はほんの少しだけ」だと教えてもらったのです。

それまでの暗記一辺倒から、きちんと原理を理解し考える方法への転換。
これが、まさに私の人生の転機だったといえます。

「原理をきちんと理解していれば、自力で導き出せる」

その考え方は、数学だけでなく、私が日常生活の中でもさまざまな形で応用ができ、生きるための最高のツールとなりました。

池谷先生も書いているように、「原理を知って導きだす」ことは「公式を丸覚え」するよりも、格段に応用力がつきます。私自身も、そういう勉強方法を始めてから、思考力・発想力が飛躍的に伸びました。

なぜなら、公式のもとになる原理を勉強するというのは、誰かがした「すごい発想の転換」の過程そのものをたどりながら「発想の転換を追体験」ことに他なりません。ですから、勉強していると、「ええ?!ここから、そう発想するの?!なるほどー!コレ考えた人すっげー!」という驚きばかりでした。

つまり、過去の偉人の思考の過程を追体験するわけですから、繰り返すことで、たくさんの偉人の発想の転換のパターンを身に着けることができるわけです。そう考えると、すごいことですよね。

パターンが蓄積され、練習問題を解くうちに、なんとなく「発想の転換のしかた」みたいなものもわかってきました。これが、日常生活、試験勉強、システムエンジニアの仕事など、さまざまな分野での問題解決の基礎となったのです。

実は、発達障害の人の中には、こうした「経験メモリー(方法記憶)」による問題解決のほうが、なじみやすい人が多いのではと感じます。

発達障害の人は、融通が利かず「表向きの規則」や「表向きの決め事」を律儀に守って周囲との摩擦を生じることがありますが、物事の判断基準として「原理」から考えることで、適切な判断と行動への自由度をあげる(つまり、融通をきかせる)こともできます。

私の場合は、幸運にも、そういう思考方法の人に出会えたことで、経験メモリー(方法記憶)による問題解決を身につけることができました。しかし、社会全般に見てこういう思考方法をとる人の数が圧倒的に少なく、出会う機会も学ぶ機会も得られないのが現状ではないでしょうか。

きちんと学ぶ機会があれば、「経験メモリー(方法記憶)」による問題解決によって、飛躍的に思考力・柔軟性・発想力を伸ばすことができる人は多いんじゃないかと思います。

発達障害の支援のひとつとして、「経験メモリー(方法記憶)」による問題解決の教育カリキュラムをきちんと体系化して取り入れるのも必要じゃないか…そんな風に感じます。

【追記】誤解する人がいるといけないので…。池谷先生は発達障害ではありませんよー。


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L島咲さんから子猫もらいました!

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私が欠かさず訪問しているブログ「召還獣 猫の手」のL島咲さんが、
バーチャルの「子猫」の里親募集という楽しい企画をされていたので、もう大ファンの私は申し込みました!

そして、6月中旬…
私はアスペルガー症候群でしーた♪


こんな感じで、
かわいいゴマ猫のゴマちゃんがやってきたわけです~♪
んも~~~子猫がかわいすぎます♪

ちなみに↓これが、L島咲さんの漫画のキャラクター召還獣の猫の手ちゃんです♪
ちょうどこの頃、連載のなかで猫の手ちゃんは囚われの身になってたので、
そこからの暑中お見舞いでした(笑)
私はアスペルガー症候群でしーた♪


で、うちに来たゴマ猫のごまちゃん。
猫の手ちゃんが恋しいらしくて夜鳴きをするので、
猫の手ちゃんのかつらを借りました!
…っていう、設定で画像を贈りました(笑)
それがコレ↓

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


そして…
それから数ヶ月経った9月に、
こんなお届け物が!

私はアスペルガー症候群でしーた♪


しかも見てください☆こんな素敵なカードまでいただきました♪めちゃきれい!!
L島咲さんのカリグラフィは、ご自身で書いておられます。
それがとってもおしゃれ♪おしゃれ♪で
西洋レトロアンティークな雰囲気の絵にぴったりなのです!
しかも、子猫がふわっふわ~です♪
↓↓☆クリックで大きな画像が見られます☆↓↓
私はアスペルガー症候群でしーた♪


そんなわけで、ごまちゃんが猫の手ちゃんをうろ覚えっぽいので
あすぺさん、ちょっとがんばりました!
(…という設定でお礼漫画を贈りました。それがコレ↓)
$私はアスペルガー症候群でしーた♪
…あぁ、子猫のふわふわ感が出せない…難しい!もっと修行します。


毎回、L島咲さんの漫画も企画もすごく楽しくて、すごいなーって思います。人を楽しませるためのアイデアがすごいんです。コメントへのお返事が魔法の国の豆知識だったり、漫画の登場人物の意外な背景だったりで、召還獣・猫の手ワールドにおもわず浸ってしまいます。(勝手に、自分も漫画の国の住人になった気分!)

みなさんも、ぜひ「召還獣猫の手」の世界に浸ってみてください♪
「召還獣猫の手」はこちら→召還獣猫の手


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前例はつくるもの。

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$私はアスペルガー症候群でしーた♪
☆クリックすると大きい画像で見れます☆

【お知らせ】
あすぺさん本☆第2弾「発達障害 工夫しだい 支援しだい」
発売情報はこちら→記事:【お知らせ】あすぺさん本の第2弾がでます♪



前例に倣(なら)うことが好きな、この社会。

それは逆に考えると…

前例を作れば
みんながその前例に倣(なら)うってこと。

誰もやってない…
って、あきらめる前に、
自分で前例をつくろう。

みんなが
あなたについてくるよ。



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やってもたぁー!(1)

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【お知らせ】あすぺさん本☆第2弾「発達障害 工夫しだい 支援しだい」


発売情報はこちら→記事:【お知らせ】あすぺさん本の第2弾がでました♪


先日10月23日(日)に京都で開催されたArtDiveというイベントに行ってきました。
…というのも、まゆイヌさんがこのイベントに出展されているということで、ちょっぴり、いたずら心で、サプライズ訪問しようと企てたのでした(ぐふっ)

まさか、こんな「やっちゃったぁー!」ネタになるとは予想もせず(汗)

-----
ちょうど、前日に出版社から第2弾の本「発達障害 工夫しだい支援しだい」の著者分が届いたので、さっそく、まゆイヌさんにプレゼントしよ~♪と、謹呈本としてサインをしました。
$私はアスペルガー症候群でしーた♪


…間違えないように。慎重に、慎重に書きました。
でも、微妙に違和感が残りましたが、なぜかわからない…。
家を出る時間が迫っていたので、とりあえず謹呈本をもって、いざ京都へ!

電車に乗って、ふぅ…と一息ついたところで、ふと、さっきの違和感の原因がわかったのです!

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


「謹呈」の「謹」の字の右側が一本たりへーーーーーーん!!!
やってもたぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!!!


よりによって、「謹呈」の文字を間違えるとは、なんたる失態!!!

電車の中で一人、静かに大パニック状態…(汗)
「ペンもってないし…どうしよう…(あわわわ)」

「そうだ!途中の京都駅の乗換えのときに、コンビニでペンを買えばいいじゃーん!差し入れも買わなきゃねー。何にしようかな~♪」
と、京都駅で差し入れとペンを買うことにしました。

…ところが

私はアスペルガー症候群でしーた♪


まさに差し入れにぴったりの超おいしそうなプリン!!!
「これとこれ!2つください♪」
素敵な差し入れが買えて「わーい、いいもの見つけた~♪」と大喜び。

そのまま、乗り換えの地下鉄の改札に入ってしまいました…。

「…ん?何か忘れてるような…あああああっ!」←1回目のド忘れ
気づいたときには、すでに時は遅し…。

プリンに気をとられて、完全にペンを買うことを忘れてました…(がっくり)

しかたがないので、現地の駅を降りてからコンビニを探すことにしました。
…んが!現地の駅から会場のみやこめっせまで、コンビニがなく、会場についてしまいました(がっくり)

「着いてもた…。ど…どうしよう…」

会場の中の売店に売ってるかな?という期待もあっさりと裏切られ…
もう、まゆイヌさんのブースを目指すのみというところまで来てしまいました。

「しかたがない…。まゆイヌさんなら、きっとネタとして笑ってもらえるにちがいない!正直に話をして笑ってもらおう!!!」
…と、自分勝手な都合でネタに仕立て上げることにして、まゆイヌさんのブースへ向かいました。

まゆイヌさんのブース、とても人気でお客さんが何人かいて、とても楽しそうにお客さんと話しています。

「う。どんなタイミングで話しかけたらええんだー?!」
人の波が引くのを待つために、うろうろうろ~。

そして、待ちに待ったサプライズのチャンスが到来!
「ぐふふふふー!びっくりしてくれるかなー?」

声をかけると…めっちゃびっくりしてくれましたー♪
サプライズ大成功~♪
でも…

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


なぜか、びっくりしている姿を見て、私もいっしょに「あわわわ~」状態になってしまい、本とプリンを渡すと「お、お客さんきたよー!ちょっと他もみてくるねー!またもどってくるわー」と言い捨てて、だーーーーーっと走り去ってしまったのです(←なにやってんだ私…)

「あ…!謹呈の文字のこと言うのわすれたーーーーーっ!」←2回目のド忘れ

「ま、後でもどったときに言ったらいいか~」
と、のんびりといろいろな展示を楽しむことにしました。

で、ぐるりと展示を一回りして、まゆイヌさんのブースへ戻りました。
「謹呈の文字のこと言わなきゃー。」

ところが…
「もどってきたよー」と声をかけると、まゆイヌさんから驚きの情報が!!!

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


「あ、今日、komachiさんも来られるんですよ!」
と、逆サプライズ情報!!!

「こ、komachiさんがっ?!ほんまに?まじで?えええええええーーーー!」
アメブロつながりで、一度会ってみたいな~と思っていたkomachiさんに、こんなに突然会えるなんてっ!!!!

あまりのサプライズに、超興奮状態ーーーー!
「じゃ、komachiさん来られたら、メールでお知らせしますね!」
と、なんとも親切なまゆイヌさん。
お言葉に甘えて、「じゃ、もうちょっと展示見てくるわー!」
と、またまたまゆイヌさんブースを去ってしまいました。

「るるるん♪komachiさんに会えるなんて~!
 ……はっ!また、謹呈のこと言うの忘れた…(滝汗)」←3回目ド忘れ

さすがに、あまりのド忘れぶりに自分でもあきれてしまいました。

…が、そこは立ち直りの早い私。
「次に戻ったときには、絶対に言うぞーー!もう、忘れないぞー!」
と、気合を入れたのでした。

気合を入れてどうにかなるなら、忘れませんよね。
ええ、ええ。わかってますともさ~(汗)

もちろん、このネタは、まだまだ続きます…。

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やってもたぁー!(2)

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【お知らせ】あすぺさん本☆第2弾「発達障害 工夫しだい 支援しだい」


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前回の記事「やってもたぁー(1)」からの続きです。

今度こそは、ぜったいに「謹呈」の文字のことを伝えなくては!!!
かなり気合を入れて、「謹呈…謹呈…きんてい…きんてぇ…きんてー」と頭の中でループしつつ、マユイヌさんからの連絡を待っていました。

その甲斐あって!
まゆイヌさんから「komachiさん到着」の連絡があっても、「謹呈」を忘れることなく、まゆイヌさんのブースまで戻ることができました!!

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


「ふー。今度はさすがに覚えてたなー。ここまできたら、もう大丈夫~♪」

…ええ。
もう大丈夫だと思ったんですよ!
だって、まゆイヌさんの姿が見えてるところまで、謹呈のこと覚えてたんですから!

そして…
そこには、念願のkomachiさんがっ!!!

「ええええええー!komachiさん?!(びっくり)」

実は、komachiさんのプロフィール画像は少し前に新しい写真になっていて、「あ、ちょっと、イメージがちがうなー」と思ってたんです。でも、前のプロフィール画像のイメージや普段の文章のイメージが強くて、てっきり、「楠田枝里子」ぽい人だと思い込んでいたのです。

でも、そこに立っていたのは…

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


楠田枝里子とは似ても似つかぬ、超Lovelyなお嬢さんがっ!!!
話し声もほんわりしたかわいい声!

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


…ええ。
あまりの衝撃(?!)に、謹呈の文字のことなんて、ぶっとんでしまいました…。←4回目のド忘れ

そして、初対面のkomachiさんに舞い上がったまま、3人で話がはずみ、しばし絵や発達障害について歓談のひと時~♪

完全に謹呈の文字のことなど、どこへやら…
もはや、このまま言わずに終わってしまってもおかしくない状況。

おい!こら!いつになったら、思いだすんだっ!私?!

しかし、その時は突然にやってきました!
$私はアスペルガー症候群でしーた♪


まゆイヌさんの「さっき、しーたさんに本をいただいたんですよー」の一言で、やっと思い出しました!!!
…結局、自力では思い出せませんでした…(汗)

ようやく、まゆイヌさんに、かくかくしかじか…と説明をしまして、まゆイヌさんのペンを借りて、足りない1本を書き足しました(汗)

$私はアスペルガー症候群でしーた♪


もう、ここまで来たらネタにしかならんわーということで、まゆイヌさんには
「もう、これ、ブログのネタにしちゃってくださいーーーっ(滝汗)」
と、なかば強制的(?!)にネタの売り込みをしてしまいました(笑)

その書き足した後のサインが、まゆイヌさんのブログで見ることができます(笑)
こちらの記事です↓
「とっても素敵な出会いがたくさんあった、「art Dive #05」」
記事の下のほうに、写真がありますが…かなり苦し紛れに1本入ってます(滝汗)

こんな大ボケを笑って許してくださって、ありがとうございます(ぺこり)
まゆイヌさん、ほんとにいい人です!
初対面で大ボケかました私を、にこにこ見守ってくれたkomachiさん、ありがとうございました!!

というわけで、謹呈の謹が一本抜けるなんて…
まさに頭のねじが一本抜けてるやろ的な大ボケ…。
さらに、その後のド忘れに次ぐド忘れ…。

もう…
ほんまに…
私って…

ネタの宝庫やわっ!!わはははーーーっ!←どこまで能天気?!

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リアルすごろく?!

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あすぺさん本☆第2弾「発達障害 工夫しだい 支援しだい」
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$私はアスペルガー症候群でしーた♪


だんだんと寒くなってきましたねー!

さて、今日は、またまた「やちゃったー!」ネタです(笑)

先日、仕事でちょっと遠い場所へ行きました。
初日は、上司と一緒に行ったし、ふだんから電車での遠出は大好きなので、まったく心配していませんでした。

少し早めに家を出て、予定通りに乗換え駅に着きました。支線へ行く電車のホームへ行くと、ちょうど2番線に電車が入ってきたばかりのようでした。たくさんの人が降りてきます。

この駅は、支線の終点駅でもあるので、支線からきた電車は折り返し運転になります。前回、上司と一緒に来たときも、この2番線の電車に乗りました。

「お、ちょうど、いいタイミング。いつもと違う電車だぁ。レトロな雰囲気でいいなぁ」

なーんて、考えながら、うきうきと電車に乗り込みました。
朝だからでしょうか、支線へ行く電車ですが、高校生などで意外に席が満杯でした。なんとか、座る席を見つけて、あとは、本でも読んで…っと。

電車が動き出しました。レトロな電車の雰囲気に、一人でにへら~と喜びながら、本を読んでいました。

しばらくして、ふと窓の外を見ると…

「あれ?なんでマンションが見えてるんだ???」

支線の沿線はほとんど田んぼや畑や山ばかりのはず…。なのに、なぜか大きなマンション群が見えています…。

次に停まった駅で、行き先表示を見てびっくり!!!支線の電車に乗ったはずが、なぜか本線へ入っています。しかも、自分の家の方へ戻ってます…。

「ああああああああー!なんでぇーーーーーーーー!?(驚愕)」


そう。

実は、乗り換え駅で私が「折返し運転」だと思い込んで乗った電車は、実は、支線から本線へ直通乗り入れしている電車だったのです…。つまり、都会へ向かう電車。どうりで席が満杯だったわけです。

私が乗った電車は本線へ乗り入れて、朝早くおきて自分が乗ってきた本線を逆戻りしていたわけです…(汗)

しかも、まったく疑いもしていなかった私は、本を読むのに没頭して、2駅過ぎるまで、間違ったことに気がつかなかったのです。そして…3駅戻ったところで気がつき、あわてて降りて反対側の電車で元の乗り換え駅へ戻りました。

そして、今度こそは間違えないように…と、支線のホームへ降りて時刻表を見ると…
1時間に1・2本しか電車がありません。

さっき乗るはずだった電車は、実は「1番線」からの発車だったことがわかりました。
そして、次の電車は…?

…50分後?!

3駅行ったりきたりして、戻ってきたにもかかわらず、あと30分も待つことになりました…。

まぁ、特に打ち合わせや約束があるわけではなかったので、遅れてもほとんど支障はなかったのが救いでした。現地へ着いたら、他の人も同じ失敗をしたらしく笑い話になりました~。ああ、よかった。
あ、でも、他の人は、1駅戻った時点で気がついたらしいですが…(汗)


私の場合は、重要なときには、ものすごく気を張っているので、こういう間違いをすることは、まずありません。けれど、気を張っていないと、こういうことをやらかしてしまいます(笑)

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さて、こうした失敗をした後に大切なことがあります。

もちろん、次回から同じ過ちを繰り返さないように対策を考えるのは当然のこと。

その上で、さらに大事なのは、その後、それをウジウジと悩んだり、自己嫌悪の元にしないことです。

実は、ウジウジと自分を責めるのは、たいていの場合は、「こんなに反省している私」へのただの自己満足か、他人から「そんなことないよ」という慰めの期待かの、どちらかなんですよね。

本物の反省と対策は、「うじうじ」からは決して出てくるものではありません。

何よりも、いちいいちウジウジする人って、一緒にいても楽しくないです。
「うじうじ」にするよりも、「笑い話」のネタにするほうが、本人も周りの人も楽しくていいですよね。
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…というわけで(?)、今回の「やっちゃったー!」を振り返ってみたら、

行ったりきたり、足止め食らったり…

これって、まさに…
リアルな「すごろく」みたーい♪

わはははーっ

リアルなすごろくを体験できて楽しかったー(笑)


と、いうオチになりました~♪
ほらね。ウジウジ書くより、笑い話にしたほうが読んでて楽しいでしょ?


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おつりの渡し方に思うこと。

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最近、私が地味~に困っていることがあります。

それが、この漫画の「さわさわおつり渡し」です…。

あの、触るか触らないか微妙な「さわっ」っという感じが、もう…ぞわわわっ!と身の毛もよだつ感じでイヤでイヤで…やめてくれーっ(涙)

よちよち歩きの頃に母親ですら手をつなぐのが気持ち悪かった…というほどなのに、知らん人に、買い物するたびにさわさわと手を触られまくるなんて…やだーっ!に決まっています(汗)

…でも、最近、某コンビニではマニュアル化されたのか、全ての店員が「さわっ」と触れておつりを渡すんですよ(ぞわわっ)

ほとんどの人がご存知だと思いますが、これって、心理学実験で、「触れるか触れないか程度に触れておつりを渡した方が、お客がその店員に好感を持つ」という結果が出たとかなんとからしいです。その効果を狙ってるんでしょうね。

でも、ここまで世間に知られてしまったら、いまさらやっても効果半減では?!

それどころか、触られるたびに、
「あ~ぁ、あの心理学実験のネタでマニュアル化したんだねー。はいはい。マニュアルどおり、よくできましたー。こんなのまで、一生懸命に練習させてんのかねぇ。”それじゃ、触りすぎ!それじゃ、触れてない!”とか、まじめに練習してるのって笑えるなー(笑)」
って、もう、完全にドン引きなのですが…。

これって、本気で喜んでいる人っているのでしょうか…。ちょっと疑問です。

誰もやらない中で、そういうことをするから、目立って印象づくわけでから、マニュアル化して全員がやってしまったら、全く効果なくなると思うんですね。

心理学実験の結果を、なんのひねりもなく、そのまんま完全コピー。それで、お客は気づかずに喜ぶと思っているなら、その企業はお客をバカにしてるなーって思います。

この心理学実験の結果を、「軽く触れる」ことがなぜ相手に「好印象」を与えるのか?そこで導き出した答えをもとにすれば、「軽く触れる」以外の方法で同等の効果を得られる行動として、どのようなものが考えられるか…。自分達の企業の製品やサービスに適用する方法として、どんな方法があるか…。もっと深く掘り下げて考えれば、より自企業に適した形で広い範囲へと応用できるはずなのに…。

安易なコピーは、せっかくの成長・改善のチャンスを自らつぶしている…ということに気がついてほしいです。

なによりも、ほんとうにおつりを落とさないように配慮して軽く手に触れる場合と、マニュアルでのさわさわ渡しは触れられた時の感じがまったく違います。心が伴わない行動は、見た目は同じでも、相手には違いがはっきりとわかるのだと思います。
実は、心のが伴わない表面的な形だけの傾聴での「そうですね」などの肯定の言葉にも全く同じことを感じます。

正直なところ、それがはっきりと感じ取れるがために、よけいにむなしくなったり、バカにされているような気がしてしまいます。残念なことに、こちらがその行動で傷ついている理由を相手には理解できないようなのです。「こうやっとけば、喜ぶはずなのになんでー?意味不明!」と切り捨てられることも多くあります。

傷ついてしまう理由は、その行動の裏に「ほんとはそう思ってないけど、こうやっとけば、相手は気づかず喜ぶだろう」という、相手を軽んじている心を想像しているから。行動そのものではなく、相手の心根に失望しているのです。

発達障害の人の多くが、こうした「表面上」だけの「好意(行為)」を忌み嫌うのは、生育過程において、いじめをはじめ、人の表面の言葉を信じて裏切られることが多く、人の表裏を見せ付けられることが多かったことも関係しているのかもしれません。また、普通の人では判別できないレベルの違いを感覚過敏や並外れた観察力などによって、明確に見分けてしまうことも理由のひとつかもしれません。

一般に「発達障害の人は相手の気持ちがわからない」といわれていますが、「表面上の行為の裏にある悪意」については、むしろフツウと言われる人よりも敏感に感じ取っています。それゆえに、フツウの人が何も感じなくて済む場面であっても、喜べないことが多々あるのです。

コンビニのさわさわおつり渡しも、形だけの傾聴の肯定の言葉も、相手によっては、まったく響かない、むしろ心の伴わない行動として怒りや悲しみの感情を引き起こすことがある、ということをわかってほしいなぁと思います。

もともとの日本人の古きよき伝統の気遣いも、形だけのものではなく、本来は心があってのものだったはず。その心をどう表現しようかと試行錯誤の末にできたもの。コンビニのさわさわおつり私も、傾聴の肯定も、心が伴っていることが大前提のはずなのに、その一番大切な部分を切り捨ててしまっているのが問題なのでしょうね。(きちんと心が伴っている人は、ちゃんとわかりますよ!)

現代の日本では、「形だけやっとけば、とりあえず失礼にはならず無難」「こうやってとけば、相手のことを思っているように見える」という風潮が巷にあふれ返っています。
まさに、バブル崩壊後の日本がいつまでも失速したままなのは、このバブル時代に栄えた「誰かの完全コピーで、うまい汁だけいただこう」という安直なマニュアル依存による「思考放棄」が招いた結果なのだと思います。

さわさわおつり渡しに、まさに現代の「自力で思考を放棄した日本人・日本企業」の典型例を見た気がします。

少しずつでも、マニュアル依存から抜け出して、自分の頭で考えて行動する人が増え、日本が新しい道を切り開く日が来ることを願っています。

発達障害の人は、幸いにもフツウのマニュアルを適用しにくい特性を持っています。マニュアルに依存せず、物事の本質を考えて行動できやすい環境にあるといえます。
つまり、新たな日本の行く道を切り開くのに一番近い位置にいるのが、発達障害の人…ということかもしれません。


あ、ちなみに、私は”さわさわおつり渡し”がイヤなので、できるかぎりICOCA(プリペイドカード)の支払で自衛しております(笑)

ぞわわっ~とならないように
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「幸福感」を大切にする

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今日は、私の幸福感についてお話します。

私は、お茶を飲むのが大好きです。
子供の頃から、家ではお茶ばかり飲んでいました。お茶がなければ生きられない!って感じです。
漫画の中であすぺさんがよくマグカップを抱えているのはそのためです(笑)

紅茶、中国茶、日本茶…とにかくお茶を飲んでいると幸せです。
その幸せ度合いは…
まさに「至福の時間」というレベルの幸福感です!

冒頭の漫画のように、あつーいお茶をカップに入れて、まるでワインでのように(?)カップをくゆらしながら、ふんふんふんふん…すぅはぁすぅはぁ…香りをかぎまくります。さすがに、人目のあるところでは、ちょっと遠慮しますが、自分ひとりで家で飲む時は、人目を気にしなくて良いので、気が済むまで香りをかぎます(笑)

もう、お茶の香りをかぐだけで、

あぁぁ…ええ香りやぁ…(恍惚)

ごちゃごちゃした現実から遠く離れて、頭の中にはなぜか水墨画の世界が広がります…
(たぶん、非現実的なまでに静かで穏やか→仙人の境地→水墨画…という連想してるから?)

そして、精神統一して一口お茶をずずっとすすります。
飲み込見ながら、香りを鼻のほうへ送ります。

はぁぁぁぁぁぁ~
お~い~し~い~♪


しやわしぇ~(しあわせ)


もう、完全に体から魂は抜けた恍惚状態です(笑)
ほんとに、幸せなんですよー。

で、実際に周りから見ていても、かなり幸せそうに見えるらしく、
「しーたさんって、お茶飲んでる時、ほんまに幸せそうやなぁ~。そんなにおいしいの?」
と、過去何人もの人に言われました(汗)

自分でも、お茶一杯で、こんなに幸せになれる自分って…

ものすごく、お得!!!
発達障害の人は、何事にも大げさだとかオーバーアクションだとか言われますが、実際にそう感じているんですよね。(場合によっては、生育過程で”表現しろ”と強要されたことで、誤った学習によるものもありますが、それはまた別の機会に。)

で、嫌なことや恐怖も大きく感じるけれど、自分が好きなものに対する幸福感もものすごく大きいんです。

これって…すごくお得で幸せだなー♪と、最近気がつきました。
だって、お茶飲んだだけで、恍惚な幸福感に包まれて、水墨画の世界へ飛んでいけるんですから!
フツウの人にとっては、なんでもないことが、私にとっては「至上の幸福」と感じられるのですから。


けれど、この幸せ感を取り戻したのはごく最近のことなのです。
実は、この5年間ほど、お茶を楽しめなくなっていたのです…。

それは、今思い返すと「フツウの人が楽しい」と思うことを楽しもうとがんばっていたからでした。
もともと、外出するのも、おしゃれなお店でお買い物をするのも、エステにいくのも、ブランド物を買うのも、貴金属もぜんぜん興味もなく、楽しいとも感じなかった私。

けれど、35歳ごろから数年間だけ、ちょっとしたきっかけで、百貨店やエステ通い、ブランド物や貴金属を身につけて、体を締め付ける下着を身に着けて「世間並みのおしゃれを楽しむ」ことに力を注ぐようになりました。

ところが…それと同時期ごろから、あんなに大好きだったお茶を楽しいと感じなくなってしまったのです。あの恍惚感に浸れるほどの楽しみがなくなってしまったのです。

どんなに、お金も十分にあって、買い物しても、おしゃれしても、お店でおいしいものを食べても…
ぜんぜん、お茶を楽しんだ時のような心からの幸福感が得られませんでした。

お茶を淹れるのもめんどくさい…。
いつしか、ペットボトルを箱買いして飲むようになっていました。

そうこうするうちに、仕事や体の不調から心も壊れて休職するにいたりました。
そのころには、何にも幸せを感じることができなくなっていました。

その後も、心は少しずつ回復して復職しましたが、体の不調はさまざまな形で次から次へと出てきました。365日24時間続く体の痛みのために、仕事以外の時間は、ほとんど寝込む日々…。ブログを書く力も…何をする意欲もなくなってきました。

とにかく…体中が痛い…意識があると痛みを感じて辛いので、眠るしかありませんでした。
体の痛みによって、私は完全に集中力を失い、まるで全ての感覚が麻痺してしまったかのうような状態になっていました。

音楽を聴いても、頭の中全体に響き渡るように聞こえていた音楽が、全てがモノラル音源のように聞こえ、音も薄っぺらにしか聞こえなくなってしまいました。

ご飯も、早く飲み込んでおなかを満たすことばかりで、昔のように細かい味を味わえなくなっていました。

そして、大好きだったお茶を飲んでも、香りがわからない…。香りの湯気が顔にふれてもわからない…。飲んでも昔ほどに味の深みを感じ取ることができない…。表面の味すらもうすっぺらくしか感じられない…。

昔、大学院でストレスでうつ病になったあの頃ですら、お茶だけが心の癒しになっていたのに…。

なんで…?
私は、こんなもののどこが楽しかったのだろう…。

まったく、わからなくなっていました…。
今考えれば、体の痛みと心の痛みのために、全ての感覚が麻痺してしまっていたのだとわかりますが、当時は、そのことにすら気がつきませんでした。

ヘルニアの手術後も右半身の痛みとしびれはとれたものの、なぜか全身に別の痛みが出始めました。
実は、子宮内膜症(子宮腺筋症)の悪化によるものだったようで、婦人科で治療薬を飲んだりしましたが、副作用が酷く、さらに体調はぼろぼろになってしまいました。24時間ひっきりなしに体が痛む…。夜も痛みのために眠りが浅くなっていました。(最近、松浦亜弥さんが子宮内膜症の悪化で活動を休止していましたね。)

そして、最近、アメリカから取り寄せたサプリメントが劇的に効き、なんとか酷い体の痛みが治まってきました。痛みが治まるにつれて、集中力が復活してきました。

すると、少しずつ、全ての感覚が戻ってきたのです。

音楽が頭の中全体に響いて聞こえるようになり、集中力も回復してきました。
絵を描くときの線を目で追う集中力と持続力が戻ってきました。

そして…
お茶の香りと味を感じ取れるようになってきたのです。

あたたかい湯気にお茶の香りが広がる…
あったかいお茶が体にしみわたり、飲み込んだあとものどに残るほのかなお茶の香り…。

あぁ…。これが、大好きだったお茶の香りと味だ…。
あぁ…。あったかいお茶、幸せだな…。

ここ1ヶ月ほど、いろいろなお茶を丁寧に淹れて、至上の幸福に浸っています。

今、お茶を飲みながら、振り返って考えると…
自分の幸福感をムシして突っ走りはじめたあの頃が、全ての不調の始まりになっていた気がします。

心の不調も体の不調も、まったく独立ではなく、心の不調が体の不調を引き起こしたり悪化させたり、体の不調が心を押しつぶしてしまったり…心と体は相互に影響を及ぼします。

もしかしたら、私は、世間の目や外観を気にして、自分にとって本当に大切な幸福感を置き去りにしてしまったことが、心を蝕むきっかけとなり、やがて体を蝕み、全てを巻き込む負のスパイラルへと落ち込んでしまったのかもしれないなぁ…

自分の幸福感を犠牲にした代償はとてつもなく大きかったな…。

そんな風に思いました。

みなさんも、どこかに置き忘れてきた「大切なもの」はありませんか?
誰にも邪魔されないように、「自分の幸福感」を大切にしてくださいね。


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生きるための応用力をつける(1) -特徴を抽出する-

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今回は、私が高校時代に学んだ大切な”生きるためのスキル”についてお話します。

冒頭の漫画を読んで、
「生きるためのスキル?!勉強とか数学の話じゃないの?」
と思われた方も多いと思いますが、実は、コレこそが発達障害の人に必要な「生きるため」に必要なスキルにつながるのです。

発達障害の人は、「臨機応変に対処できない」「教えられた(字義通り)とおりにしか物事を捉えられない」と、言われます。

実際、私自身も高校3年生で、冒頭の漫画の数学の先生の言葉を聞くまでは、臨機応変が苦手でしたし、勉強も書いてあることの丸覚え以上のことができず、応用力がなくて、系統立てて順番に物事を考えることができませんでした。それは、数学や勉強だけでなく、実生活においても共通していました。

で、私の場合は、数学の解き方を通じて、実生活にも共通する「応用を利かせるために必要なスキル」を学んだのです。それが、今回のお話です。

高校3年生のときの塾の数学のR先生。私にとっては、ものすごくわかりやすい授業でした。一つ一つの問題に、必ず、ここが解くためのpointだ!と簡潔に書いてくれるんです。わからない問題でも、1点の曇りも残らないぐらいに理解ができるのです。

けれど…
「この問題にはこのpointを使えば解ける!」となぜ気づくのか?!それが、わかりませんでした。
その頃の私は、基本的な問題でぱっと見てこの公式を当てはめるんだな、とわかる程度の問題しか解けませんでした。少しひねった問題になると、こねくり回している間に偶然解けることはあっても、あくまでも偶然でしかありませんでした。

実は、中学3年生の時に、塾の数学の先生に「どうして、この問題には、この公式を使うってわかるんですか?」と尋ねたことはあるのですが、先生は「うーん、なんとなく?」としか答えてくれませんでした。

解説がものすごく理解できて数学が楽しくなってきた私は、思い切ってR先生に、同じことを尋ねてみました。

●しーた「解説を聞くと、内容は理解できるんです。でも、この問題を見ても、このpointを使うって気づけなくて、解けないんです。どうやったら、気づくんですか?」

■R先生「うん、うん。なるほど。たとえば、今日の問題だったら、丸にバッテンの図が見えるでしょ?そしたら、自分の知っている「丸とバッテン系」のpointをひっぱり出して、”これかなー?”って、まず疑ってみるんだ。

●しーた「丸とバッテン…そっか、この図をそんな風に見るんだ!…でも、それでも上手くいかないときは?」

■R先生「そしたら、別の「丸とバッテン系」のpointを疑ってみるとか、問題の図を丸とバッテンじゃなく、別の見方をして、別のpointを疑ってみるんだ。」

●しーた「なるほど!」

■R先生「で、大事なのは、はじめのうちは、見当違いなpointを当てはめて上手くいかないことが多いけれど、コレを繰り返していくうちに、見当のつけ方が上手くなってきて、ぱっとみてわかるようになってくるんだよ。」

●しーた「そっか!いきなりできるようになるわけじゃないんですね!」

■R先生「うん。でも、慣れてくれば、楽にできるようになるよ」

こんな風にR先生は教えてくれました。
このとき、目からうろこが落ちた!って気分でした。

今、振り返ると、このときに2つの大切なことを学んだのです。

1つ目は
問題の図から「丸とバッテン」という特徴を抽出して、自分の知識の中の「丸とバッテン系」の知識を重ね合わせるということ。

つまり、現実の物事から「特徴の抽出」をして、自分の経験の中の同じ特徴のものと紐付けて考える、ということを学んだのです。

もちろん、このときは、数学の問題を解くことだけしか考えていませんでした。けれど、数学を通して一生懸命に「特徴の抽出」を練習したことによって、気がついたら、普段の生活でも自然にその力を利用できるようになっていました。

それまで、混沌として不規則極まりない世界だったが、すっきりと整理されて見えるようになってきたのです。

実は、発達障害の人の特徴として、人の顔を憶えられない、とか、細部にこだわる余りに全体を捉えられない、フツウの人が同じと捉えるものを”異なるもの”と捕らえる、などの行動があります。その原因のひとつは、「汎化」、つまり、「特徴の抽出」ができないからだと言われています。

つまり、私は、数学を通して、偶然にも「汎化」を意識することになり、数学を通して「汎化」の訓練をした…ということだったのですね。

さらに、常に「汎化」を意識して生活をするようになったことで、フツウの人が無意識にしている以上に、物事の特徴の抽出と関連付けや問題解決ができるようになりました。

そして、2つ目は、
「何回も試して、ダメなら、別の見方を試す。その繰り返しによって、少しずつコツがつかめる。」、つまり、「試行錯誤でコツをつかむ」ということ。

一見すると当たり前のことのように思われますが、その頃の私は「学校の勉強(特に数学や物理)は、ぱっと見てすぐできる」ものだと思い込んでいました。丸暗記の勉強しか知らなかったので、当然かもしれません。

つまり、「勉強」というのは「試行錯誤の繰り返し」であること「試行錯誤の末に少しずつ”コツ”をつかむことができる」こと。
そして、
『そしたら、別の「丸とバッテン系」のpointを疑ってみるとか、問題の図を丸とバッテンじゃなく、別の見方をして、別のpointを疑ってみるんだ。』
のように、試行錯誤の具体例を説明してもらえたことで、私は「試行錯誤」を「意識」し「行動」できるようになったのだと思います。

現在の私が、自分の行動を観察して、いろいろな工夫を試行錯誤して、少しずつ自分に合うようにアレンジしていますが、まさに、それはこの数学で学んだ手順なのです!

今、振り返って考えると、この日から、私にとって数学の勉強は、生きるためのスキルを学ぶことであったといっても過言ではないと思います。

ここで大切なのは、学ぶ手段は数学である必要はないということ。私はたまたま数学を通して学びましたが、当事者がもっとも力を注ぎやすい・興味を持続しやすい物事を通して、「特徴を抽出する」ことを楽しんで「意識できる」方法を探すこと。その試行錯誤の具体例を示すことで、継続しやすくなると思います。

この「生きるための応用力をつける」シリーズでは、私が数学のR先生や物理のM先生から数学・物理を通して学んだ「生きるためのスキル」をお話します。ぜひ、当事者・・家族・支援者の方々に私の経験を共有して生かしていただければと思います。

ちなみに、漫画で先生の台詞に♪がついているのは、ものすごく楽しそうに数学の話をしてたから(笑)ほんとに、音符がついてる感じだったのですー♪

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引越ししてから、はや5ヶ月。

キッチンには、空きびんが山になっておりました…。

もちろん、入居のときにきちんとゴミの分類の方法を書いた紙をもらったので、それを見ながら分類して、ゴミの日もチェックしていました。

…ところが、いざ捨てる前日になると、

自信がない…

こんな分類のしかたでいいんやろか…
ビンは色つきと透明は分けんでいいんやろか…

「ラベルはできるだけはがして…」って書いてるけど、どんなのははがさなくていいのかな??
ラベルがはがれないのは、そのままでいいのかな…

プラスチックのフタは「燃えないゴミ」って書いてるけど、注ぎ口のプラスチックがとれないのは、そのままでいいのかな…

考えれば考えるほど、疑問がでてきて…

わからないーーーーっ!

こんなに悩むのは、間違って出したときに、管理人さんや近所の人から怒られたり非難されるのが怖いから…
もう、こうなると、いろんな想像が駆け巡ります(笑)

こうして不安が大きくなりすぎて、
結局…

今回のゴミの日は見送り~

ということを繰り返して、5ヶ月間も捨てられずにいたのです。


細かく自分の気持ちを観察してみると、上に書いた理由以外にも「些細な理由」の「大きな心の障壁」がどどーんとありました。

■理由1■
新しい地域で「初めて」の空きびんゴミを捨てる。
たかがゴミ捨てといえども、「初めて」は不安で怖いのです…。

■理由2■
前に住んでいた地域と今度の地域では、缶・ビン・ペットボトルなどのゴミの分類の方法や回収の日が違いました。
「前と違う」ということが、なかなか体で覚えこめず、どうしても「違和感」が大きい。前の地域では缶とペットボトルは同じ日の回収だったのですが今度の地域では別の日に回収…。それだけでも、「一緒の日じゃない…」と大きな違和感が、「なんだか…捨てるの嫌だな…」という”もや~ん”とした漠然としたイヤな気持ちを醸し出して、やる気をそいでしまうのです。
自分がそんな違和感を感じている「ばかばかしい」と感じているのですが、”もや~ん”とした嫌気を振り払うのが難しいのです。

つまり、こんな感じでしょうか。

「新しい」「違う」

「今までの経験が役に立たない」

「予測がつかず、わからない」

「不安」

「やりたくない」


でも、今回は年末ということもあって、一念奮起しました!
「来年に持ち越さないぞ!今度こそ捨てるぞ!」

…で、そーっとゴミ置き場を偵察に行きました。
すでに、捨ててある他の人のゴミを見ると、心配したほどの厳密な分類ではないことがわかりました!
色のついたビンも透明のビンも一緒に捨ててあるし、注ぎ口のプラスチックもついたままのもあります。ラベルもはがされてないものもありました。

「なーんだ。この程度でいいなら大丈夫ーー!」

不安が一気に解消されて、自信を持って、山のような空きびんを捨てることができました。

実は、「新しい」「違う」「はじめて」に対する、心の障壁は、「実例を見る」「誰かと一緒に見学・体験してみる」ということで、クリアできることが多いのです。

とはいえ、やみくもに見学したり体験すればいいというものではない気がします。

自分の中で「何が不安なのか。何がわからないのか。」という疑問がはっきりした段階で、実例をみたり、体験・見学をすることで、「自分の中の不安要素や疑問をクリアになる」ことが必要なのです。

ですから、本人が「漠然」と怖い・不安と感じている状態で、体験や見学を強要しても、逆効果になりかねません。あくまでも、本人が疑問や不安を自覚し、見学や体験によって、その答えを得ることで安心できることで、次の行動へと踏み出せるようになるわけです。

もし「漠然とした不安や疑問」で動けなくなってしまったら、まずは、自分の気持ちを観察して「何が嫌なんだろう?何がわからなくて怖いんだろう?」ということをはっきりとさせること。
原因がはっきりすれば、それを解消してくれそうな実例を見たり体験することで安心できます。

身の回りの小さなことから、始めてみましょう。たとえば、今日の私の空きびんゴミ捨てのようなことから。繰り返すうちに、少しずつ自分の「不安・疑問の傾向」がわかってくると思います。


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☆あけましておめでとうございます☆

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あけましておめでとうございます!

やっぱり、あすぺさんの元旦は、かぶりものですねー♪

昨年は、公私共に忙しくて、なかなかブログの更新ができませんでしたが、今年は、がっつり更新がんばりますー!これからも末永くよろしくお願いいたしますっ(^▽^)/


体調も良くなってきたので、発達障害に関連する活動の幅も広げていきたいなぁと考えています。いくつか頭の中で形になってきたので、少しずつ実現していけたらいいなぁ♪

私は、ずっと同じ集団や組織の中で活動をするということには向いていません。おそらくそういう中では実力が発揮できません。

けれど、必要なときに、必要な人とタッグを組んで、お互いの得意分野を出し合って、何かを作り上げる・成し遂げる…という形の活動ならできます。というか、その形こそが、私自身を最大限に発揮できる方法だったりします。

実は、発達障害の人の中には、こういう形での協力関係を好み、また、そういう形でこそ実力を最大限に発揮できる人が結構多いのではないかと思うのです。

集団や組織の中でやっていけないこと=ダメ人間、というレッテルを貼られがちですが、それは大きな誤りです。歯車としての役割に適していない、ということに過ぎません。

この社会を維持していくために、歯車の役目をする人も必要ですが、それだけでは成り立ちません。それ以外の「何か」の役目をする人が必要です。

自分自身が「歯車」に適していないと感じたなら、自分は「何」の役割があるのだろう?と、目を外の世界へ向けてみてください。
そして、新たな世界へ新たな一歩を踏み出してください。

ただ世の中に背を向けているだけでは、
ただ自分を「ダメだ」「惨めだ」と言っているだけでは、
誰もあなたの「何か」を探して見つけてくれたりはしません。

自分の宝物は、自分で探さなければ見つかりません。
何もしていない人には、誰も手を差し伸べませんが、一生懸命に探している人には、かならずヒントを与えてくれる人や、協力してくれる人、手を差し伸べてくれる人が現れます。

全ての始まりは、
まず「何か」を探す旅に出ること。

この新しい年の始まりを、
ぜひ皆さんの新たな心の旅立ちとしてはいかがでしょうか。

---
☆おまけ☆
もうひとつ、背景違いの画像も作ってみました♪

私はアスペルガー症候群でしーた♪

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読み終えた方から、
とても共感した!とても役に立つ!わかりやすい!
と、感想をいただいています♪

お年玉にいかがでしょ?

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【募集】うさぎさんを飼ってみませんか?(1/4追記あり)

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突然ですが…

私がよく訪問するブログさま

■くいしんぼう☆ふしみんの全力幸せ日記

で、
うさぎさんをもらってくださる人をさがしています。

↓詳細はこちら!↓
記事:すてきな家族がみつかりました!そして…

もぅ…
かわいいのなんのって…
特に生まれたばかりの赤ちゃんうさぎさんなんて
「手乗りウサギ」ですよ!!!

うちのマンションがペット禁止じゃなければ、
速攻で名乗りをあげています…(T_T)

どなたか、このかわいいうさぎさんのお母さん・お父さんになってあげてください!!

ということで、今回募集されているもふもふ赤ちゃんウサギとお母さんウサギさんの写真です。

☆うりちゃん (赤ちゃん)☆
私はアスペルガー症候群でしーた♪


☆まさむねくん (赤ちゃん)☆
私はアスペルガー症候群でしーた♪


☆ふくちゃん (お母さん)☆
私はアスペルガー症候群でしーた♪


(写真:ふしみんさんのブログより転載)


このほかにも、まだ写真はないですが、生まれたばかりの赤ちゃんウサギさんもいます!(まだ、お母さんウサギが守っていて写真が取れないのだそうです。)

み~んな、幸せに育ててくださるお家をさがしています!


そして、なぜ、ふしみんさんのおうちには、こんなにうさぎがたくさんいるの??と思われた方いらっしゃるのではないでしょうか。

そこには、ふかーい訳があるのです。
とってもかわいそうな身の上のウサギさんたちなのです。そのうさぎさんを見ていられずに引き取ったふしみんさん。ほんとにお人柄のよさがにじみ出てます。

そのまとめ記事がありますので、ぜひ読んでみてください。

我が家の謎 その1
我が家の謎 その2
我が家の謎 その3

「ぜひ、このうさぎさんをうちの子にしたい!」という方は、ふしみんさんにご連絡くださいね!

■追記■
私の記事紹介のタイミングが悪くて(汗)、ふしみんさんが1/4~1/6まで旅にでるため、返事は早くても1/7になるそうです。連絡したのに「返事がないよ~」って泣かないでね(笑)


↓☆ふしみんさんのブログ☆↓
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記事:すてきな家族がみつかりました!そして…



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私の人生を変えた言葉(1)

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【お知らせ】
あすぺさん本☆第2弾・発売中!
発達障害 工夫しだい支援しだい

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$私はアスペルガー症候群でしーた♪


これは、私が高校3年生の頃のお話です。

以前の記事「生きるための応用力をつける(1)」では、塾の数学のR先生のお話をしましたが、もう一人、私の人生に大きく影響を与えた先生がいました。それが、同じ塾の物理のM先生です。

新刊の「発達障害 工夫しだい支援しだい」の中にも登場していますが、物理のM先生の授業は、私にとって、ものすごくわかりやすくて、物理が大好きになり成績も上がりました。

とにかく物理が理解できることが楽しくて、授業の後は、いそいそと習ったことを復習して、次の授業のときに質問を持っていくのです。

そんなある日、いつものように、M先生に質問に行きました。いつもの昔話調(?)の語り口で、図や式を書きながら説明してくれまていました。
…でも、がんばっても、途中からやっぱり理解できなくなりました。

実はこの頃の私は、地元のトップ進学校へ進学はしたものの、高校1・2年生は勉強をサボり倒していたので、1・2年生から塾に通っている周囲の生徒と比べると、かなり「できない」レベルでした。ですから、同じ物理のクラスの有名私立のヤンチャな男子どもから、「おまえアホやのー!こんなんもわからんのかー」とバカにされていました。それでも、いつも笑って元気に言い返していたのですが、内心ではけっこう傷ついていました。

そんな時期でもあったので、よけいに理解できないことが辛くなりました。

こんなに、親切にわかりやすく説明してくれてるのに、理解できないなんて…
いつも嫌な顔ひとつせずに、こんなアホな私の質問に付き合って、教えてくれてるのに…
あまりにも申し訳ない…

M先生に申し訳なくて、思わず、
「先生…、ごめん…。こんなに丁寧に説明してもらってるのに、わからへん…」
と、しょぼーんとしてしまったのです。

そのとき、M先生が私に向かって言った言葉は、まったく予想外の驚くべき言葉でした!
私のその後の人生に大きな影響を与えたその言葉とは…?

次回(1/13)に続きます。


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私の人生を変えた言葉(2)

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【お知らせ】うさぎさんの家族募集の経過報告
先日、ふしみんさんのウサギさんをもらっていただける人を募集したところ…
一羽をのぞく赤ちゃんウサギさんの家族が決まりました!ありがとうございました(^▽^)/

最後の赤ちゃんウサギは、少し体の調子が悪いので、安定するまでしばらくは、ふしみんさんが育てるそうです。あとは大人のうさぎさんの家族募集ついては、来週に詳細報告できそうです!!

うさぎさんの家族になってくださった方へ。大切に育ててあげてくださいねー(^▽^)(うらやましい。)


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前回「私の人生を変えた言葉(1)」からの続きです。

アホな私のために丁寧に説明してくれたM先生への申し訳なさで、しょんぼりしてしまった私。

そんな私に、M先生が言ったのは
「お前が理解できへんのは、オレの説明が悪いからや。(きっぱり)」
しかも、なぜか自信たっぷりに。

「ええええっ?!先生、何いってんのー?!」って、めちゃくちゃびっくりしました。

だってね。
今までの人生で、人にいろいろなことを教わってきたし、説明されることがありました。
でも、説明がわからなくて、困った顔をした時に、言われた言葉って、

「わからん?」(困惑)
「なんで、わからんの?」(怒り)
「わからんのやったら、しゃーないな」(あきらめ)
「まぁ、そのうちわかるようになるよ」(なぐさめ)
「いや、できるって…」(顔を引きつらせながら、その場しのぎ的に)

これらの言葉の大前提は
「私の説明がわからないのは、あなたの能力不足」
ということ。

つまり、(言っている本人が無意識でしょうけれど)、説明した側の問題ではなく、「理解できない側」の問題として扱っているわけです。

できないことが多かった私は、こうした言葉をかけられ続けて育ちました。

当然、このときも、「まぁ、そのうちわからうようになるよ」とか、嘘がみえみえの「いやいや、がんばればできるって」という言葉が返ってくるものだとばかり思っていました。

ところ、M先生は、まるで当たり前のことのように、「オレの説明が悪いからやん。」と、自信たっぷりに言い放ったのです。かなり「自信たっぷり」な態度で。(←これがポイントだったと思う。)
しかも、
「オレがお前の年の頃に理解できたことやで?お前が理解できへんわけないやん。」
と、私の能力の問題ではないというのです。

でも、M先生は公立高校から現役で超エリート大学の理系に合格した頭脳の持ち主。(当時は大学院生でアルバイトとして塾の先生をしていました。)

私「だって、先生は、めっちゃ頭ええやん。私と脳みそがちがうよ…」
M先生「あほー。お前かて、進学校の生徒やないか。そんなに脳みそに違いがあるわけないやろ。」
私「…そっか…な」
M先生「そうや。ということは、お前が理解できへんのは、オレの説明が悪いからやないか。へへん!反論できまい(笑)」

もちろん、人には素養というものがあるので、M先生と同じようになれるわけではないことはわかっていました。それでも、「そんなに脳みそに違いがあるわけない」という根拠とともに私の可能性を示してくれたことが、とてもうれしかったです。

ちなみに、根拠のないカラ元気的な「できるよ」は、ただの慰めや、悪い雰囲気のその場しのぎの嘘にしか聞こえませんからね。そんな風に、気を使っている相手を見て、余計に落ち込んでしまいます。

たとえ、M先生と同じ台詞だったとしても、あたかもこちらの顔色を伺って、慰めるような態度で「いや、いや、オレの説明が悪かったんだよ…(汗)」という取り繕うような態度であったなら、私は傷ついていたと思うのです。

自信たっぷりに当然のことといわんばかりの態度で、「オレの説明が悪いに決まってるだろー。なにいってんだー?」と言ったM先生の"本物の"気遣いが、何よりも私にはうれしかったのです。

そして、
「お前には理解できる能力はあるんだ」と信じてくれたことが。
「説明を変えれば、理解できる道がある」と示してくれたことが。

そして、この後、もう一度、先生に説明をしてもらって、しっかり理解できました!

もし、このときに否定的な言葉をかけられていたら、理解をあきらめていたかもしれません。つまり、M先生の言葉が、私の能力を引き出したわけです。

多くの教師が「理解できない」のは「生徒の努力不足」「生徒のやる気の問題」「生徒の能力の低さ」と、生徒の責任にしています。少なくとも、私はM先生に出会うまで、私が理解できなかった時に、「自分の説明が悪い」と断言した先生はいませんでした。

今考えれば、こうした周囲の人の言葉や態度をうけるたびに、私は「やっぱり、私はだめなんだ…」と、自分の評価を下げていました。そして、いつしか「どうせ、やってもムダ」という無力感へと代わり、自らが周囲の言葉どおりに「自分の能力を潰していた」時期もありました。

確かに、発達障害は能力の偏りがあって「フツウ」の方法ではできないことがあるのは事実です。
けれど、こうした否定的な言葉によって、ほんとうは「がんばれば」できることも、「どうせ私はできない」とあきらめてしまったために、できるようになるチャンスを失ってしまったこともあると思うのです。( もちろん、ここで言う「がんばる」とは、「フツウ」のやり方で闇雲に続けるという意味ではなく、「他の方法」を模索して目的を達成するという意味です。)

「私には、なんの取柄も得意もない…」と嘆いてる人の多くが、実はこのタイプなんじゃないかと考えています。

このとき以来、私は、

「相手が理解できないのは、自分の説明が悪いから」

を常に自分の戒めの言葉として持ち続けています。

そのことが、その後の私の人生で、どんな風に役立ったのでしょうか?
次回 [1/17(火)] に続きます。

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【紹介】「DX(ディスレクシア)な日々 美んちゃんの場合」ドキュメンタリー映画

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突然ですが、発達障害の方をテーマとしたドキュメンタリーの自主映画のお知らせです。

ドキュメンタリー自主制作映画
DX(ディスレクシア)な日々 美んちゃんの場合
公式サイト:http://www.dxnahibi.com/index.html

1月28日 ポレポレ東中野でロードショー開始!


※ディスレクシア:学習障害、LDのこと。

1月28日からポレポレ東中野でロードショー開始です。関東にお住まいの方は、ぜひどうぞ!
上映情報は、こちら→■上映情報

この映画に関しては、上映前ということもあり、私自身は全編を観ていませんが、予告編のロングバージョンを観て、かなりの確信をもって紹介することにしました。

下の「予告編・ロングバージョン」を見ていただくと、かなり正確な映画の雰囲気がつかめると思います。ディスレクシアとADHDをもった「美んちゃん」を追ったドキュメンタリーです。発達障害に共通する悩み「がんばってもできない。」と、どう向き合っていくのか。最終的に、たどり着いたのは得意と個性を活かした起業でした。発達障害の人が、幸せになるひとつの事例ですね。
とにかく、まずは、予告編を観てください!(時間のある方は、ロングバージョンをぜひ!)
その後ろに、映画の解説を転載しておきますので、ゆっくりと読んでくださいね。

ドキュメンタリー自主制作映画
DX(ディスレクシア)な日々 美んちゃんの場合
公式サイト:http://www.dxnahibi.com/index.html


■予告編


■予告編・ロングバージョン *オススメ*


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■内容紹介■ (公式サイトより転載)
この映画の主人公・砂長宏子さん(通称・美んちゃん:小さい時からビンのようにひょろ長かったから)は、見た目もおしゃべりも普通で友達も沢山いる。でも、書類や報告書作り、本を読むことが大の苦手。こうした困難さを理解されないまま大人になって、職場から次々にクビの宣告を受けてきた。

子どもの時から、どんなに頑張っても成績が上がらなかった。問題は分かっていても読み書きに時間がかかったり、文字の間違い、うっかりミスが多いのだ。日本での大学受験をあきらめ、ロンドンの美術大学に入った美んちゃんは、ここでディスレクシアの可能性が高いと指摘された。

得意な料理の腕を活かしての料理教室、ヘアメイクのアルバイト。苦手な読み書きとは 関係ないところで技が使える仕事は楽しい。

美んちゃんが高校生の時、両親が離婚して、それからはお母さんが働きながら子供たちを育ててくれた。しかし、お母さんは、最近まで美んちゃんがディスレクシアだということを理解してくれていなかった。 親子水入らずの会話も、本音の出し合いで対立したり、すれちがってばかりだ。

ディスレクシアであることを隠したまま、何とか日本で就職した美んちゃん。そのころ、ネットでディスレクシアについて調べてもほとんど出てこなかった。どうして良いか分からないまま、一人悩んでいた時、偶然にディスレクシアの啓蒙・支援活動をしているNPO法人を見つける。ここで、ディスレクシアで苦しんでいるのは自分一人ではないんだ。共に悩みを打ち明けられる仲間がいたんだ、ということを知り、これ以降、自信を持って前向きに生きられるようになった。

ハローワークに通いながら、美術展への出品、企業での講演、チャリティ駅伝への参加、障がい者によるビジネスプランコンテストへの参加と積極的に活動する美んちゃん。自立に向けて歩み始めたけれど、さあどうなる美んちゃん?!

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こちらの映画は、自主上映団体の募集もされています。
発達障害の当事者会、特別支援の教育関係の方で、自主上映にご興味のある方は、公式サイトからお問い合わせくださいね。
■自主上映団体募集のお問い合わせ

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