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「第2回 小学校~高校時代のころはこんなコでした♪」
------(昨日からのつづきです。)
去る5月19日。待ちに待った、ドキュメンタリー映画「DXな日々 -美んちゃんの場合-」を見に行ってきました!
↑[Click]でこぼこ生活研究所:谷光監督・美んちゃんのインタビューあります!
昨日の記事 【映画観た!】「DXな日々 -美んちゃんの場合-」の続きです。
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実は、美んちゃんは、昔、筆記試験重視の日本の大学ではなく、実技重視のイギリスの芸術大学へ進学しました。そこで、学習障害(LD)の指摘を受けるわけですが、イギリスは、かなり昔から学習障害への理解も社会的認知も進んでおり、社会全体の支援体制も整っています。
学習教材でも、学習障害(LD)の子供用に音声CDの教材がそろっていたり、生活の中で、”学習障害”が当たり前に浸透しているそうです。
そんな環境で、のびのびと大好きな美容の勉強をした美んちゃんは、メークアップアーティストとしての才能が開花します。美んちゃんの作品が雑誌の表紙を飾ったこともあったとか。そんな才能と技術をもった美んちゃんが、日本では美容師の資格がとれないために、仕事として才能を活かすことができないのです。
映画の後、美んちゃんご本人と谷光監督の舞台挨拶がありました。
その中で、美んちゃんが話していたのが、
「イギリスでは、学習障害の人には、特別扱いがある。”よい意味”での特別扱い。たとえば、卒業論文も(字数)が半分でOKとか、いろんなことで半分でOKってことがたくさんある。」
「よい意味での特別扱い」という言葉が心に残りました。
イギリスでの学習障害(LD)に対する感覚は、日本で近視の人がめがねをかけているような感覚に近いんじゃないかな、と思います。
近視で黒板が良く見えない子は、教室で前のほうの席にしてもらう、という配慮は、普通にあることではないでしょうか。
それを、「近眼だからって、前の席がいいなんて”わがまま”が通るなんてずるい!」と目くじらを立てるような人は、あまりいません。(たまにいるけど。)
むしろ、そんなことを言う人は、「心の狭いやつだな」と批判の対象になってしまいます。
学習障害・発達障害に対するさまざまな配慮も、この近眼の席の配慮と同じレベルのはずなのです。
ところが、なぜか、今の日本では、こうした要求が「わがまま」に分類されてしまっています。
しかも、近視の人が「めがね」という文明の利器を使うことが許されていますが、学習障害・発達障害の人にはこうした文明の利器に頼ることは、甘えだ!ずるい!気合が足らん!と一蹴されてしまうことも少なくありません。
近眼の子に、「黒板の字が見えない?お前が見る努力してないからだろう?もっと、気合入れて、目に力をこめて見れば見えるはずだ!まじめにやれ!」なんていう教師がいたら大問題です。それを、授業のたびに毎回叱っていたとしたら?
これで、その近眼の子がやる気をなくしたって、不思議ではありませんよね。
学習障害・発達障害の場合には、当たり前のように、こういう対応をされているわけです。ムリなことを強要され、叱られ続けることで、学習するのは「無力感」だけです。
そんな環境の中でも、なんとか自分のでることを探し続けて、がんばろうと思える人というのは、相当の精神力の持ち主なのです。
その人が、いったん自分に適性のある道を見つけたなら、その鍛え抜かれた精神力によって、大きな飛躍を遂げることは、不思議ではありません。むしろ、当然のことといえるのではないでしょうか。
この「DXな日々」の美んちゃんも、その一人なのだと思いました。
映画の最初から最後まで、底抜けなほど明るく前向きな美んちゃん。
これを単純に「生まれつきの性格」だからよかったね、と言ってしまうのは少し違う気がします。
子供のころから多くの失敗を積み重ねる中で、自分をコントロールするために「前向きさ」を学習によって身につけてきた部分もあるように思うのです。(もちろん、素養もあるでしょうけれど。)
本当は、もっといろいろなことを感じ・考えたのですが、ここに書くときりがないので、私の感想はこの辺で終わりにします。
私にとっては、ほんとうに実りの多い映画でした。
(明日の記事へ続きます。)