今日は、『「ほめる」の功罪(1)』の続きです。
マズイ「ほめ方」ほど、子どものヤル気をそぐものはありません!
前回、お話したタイプのほめ方のほかに、もう一つ大嫌いな「ほめ方」がありました。
それは…
明らかに、まーったくたいしたことでもないのに、大げさに声高にほめる
「あらぁぁぁ~すごいわねぇぇぇ~おばちゃん、びっくりしたわぁぁ」
「しーたちゃん、そんなこともできるんだぁ~すごいねぇ~」
これは、子供を持つお母さん方に圧倒的に多かったほめ方。
申し訳ないのだけど、ほんっとに!ほんっとに!大嫌いでした。
いつも心の中で、
「お前ら、人をバカにしとんかいっ!(怒)」
って、思ってました。
特に、ほめることで、次へ進ませようとか、何かをさせようとかという魂胆がみえみえなのが、虫唾が走るぐらい嫌でした。表情を見れば、まったくびっくりしてないことも、すごいと感心しているわけでもない。
そもそも、大人から見て、こんなことがびっくりするほどすごいことでないのも、他の子と比べてすごいわけでもなんでもないことぐらい、自分でもわかっています。
まさに、心が伴っていない「口先だけ」というのが容易にみてとれる。
しかも、そういうおばちゃんたちに共通しているのが、まるで顔にお面でも貼り付けたようなわざとらしい笑顔。
そういうものが嫌で嫌で嫌で嫌で(×100回)、しかたがありませんでした。
でも、同い年の子供は、そんな大人のほめ言葉に、本気で喜んで自慢したりしてるんですよね…。
それをみて、「こいつあほちゃうか。おばちゃんの顔見たら、ウソやてわかるやんか。そもそも、大人がそんなもんすごいと思うわけないやん。」と、とにかく目の前で繰り広げられる茶番劇のばかばかしさに、いつも虫唾がはしるほど嫌悪感を感じていました。
そして、そんな冷ややかにむっとした私のご機嫌を取ろうとして、さらにわざとらしくほめたりなだめたり…。私がむっとしている理由もわからず、ご機嫌だけをとろうとする、その浅はかな態度がさらに私の神経を逆なでしていることにも気が付かない…。
こういう風に書くと、「気難しい子だなぁ」と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。
これ、自分(大人)に当てはめて考えれば、当たり前のことではありませんか?
たいしたことでもないのに、やたらに大ゲサに褒められたら、バカにされてるように感じる、なんてことよくある話です。
「子どもだから」という先入観で「わざとらしくても、子供はわからない」と思い込んで、その通りに反応しない子供を「気難しい」とか「愛想のない子」と思ってないでしょうか?
まさに、問題はココなんです。
結局は、これも前回と同じで、相手をきちんと尊重していない人の「ほめ方」は、相手にバレバレ。大人だろうが、子供だろうが、自分が尊重されていないことに気が付けば、むっとするのは当然なんですよね。
それに気づいた子供がむっとしたところで、その子が悪いわけがありません!
「かわいげのない子」なんて言うのは、自分の下手なほめ方の責任転嫁でしかないわけです(笑)
表面だけの「ほめ」なんて、なんの役にも立たないどころか、相手に不快感を与えてしまうだけです。そもそも、何でもかんでも「ほめ言葉」を言っておけば、子供は単純だから喜ぶよ…なーんて思っているなら、そのこと自体が、子供をバカにしています。
ほめるときは「本気」であることが大前提なのです。
「本気」から出た「ほめ言葉」は、相手が「どこが?」と聞き返したとしても、なぜ・どこがすばらしいか「理由」を説明できます。
みなさんがあすぺちゃん・あすぺさんをほめるとき、その理由を明確に説明できるほどに、「本気」でほめ言葉を言っていますか?
あなたの「本気」の言葉こそが、相手を「本気」で頑張らせるのです。
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