あっという間に師走になってしまいましたね。
さて、今日は、私の大ぼけ話です(笑)
昨年の夏、引っ越ししたのはよかったけれど、部屋数が増えて、前の住居と生活スタイルが全くかわってしまったため、部屋をきれいにする工夫をまだ編み出し切れていません。
掃除を含めた生活のリズムもまだ確立されていなくて、気づいたときに(って、なかなか気づかない!)掃除している感じです。
…ということは、はい。もちろん、片付かないですっ!!!
寝室は、脱ぎっぱなしの服があちこちに、脱いだままの形で(!)散らかってるわ、洗濯済みのものは洗濯かごに入ったまま…
床が見えず足の踏み場もない状態になっておりました…orz
そこで、意を決して、一気に片付けました。
ああ!すっきり!なんてきれいなのっ!
これで、今日は気持ちよく寝れる~♪
…と寝たところまでは良かったのですが、夜中にふと目が覚めました。
寝ぼけ眼に入ってきた部屋の景色。
床に何も置かれていない(落ちていない)!!
も、物が、な、なんにもないーーーーーー!
物の無さに、ものすごく恐ろしくなってしまいました。
もちろん、寝ぼけてるからなんですが(笑)
いや、ほんとに、びっくりしましたよ。
慣れって怖いですね~(汗)
実は、私、子供の頃、ものすごく寝ぼけることが多かったのです。
また、その話は、別の機会にしますが、寝ぼけ方が尋常じゃなかったらしく、
親から何度もその話を聞きました。
そのうちのいくつかの出来事は、寝ぼけている間の記憶もきちんとあります。
大人になってから、あまり激しく寝ぼけることってなかった(というか、覚えてないだけなのかもしれないけど…)のですが、珍しく寝ぼけました。
寝ぼけてる時って、自分では、きちんと考えて、つじつまが合っているつもりなんですよね。
もしかしたら、認知症の人の世界ってこんな感じなのかなぁ…と思いました。
こんな風に、ちょっとした普段とは違う体験を、いろいろな人(病気や境遇)と結び付けることで、ちょっとした疑似体験になるわけです。こうした疑似体験を、自分で意識的に増やすことで、いろいろな人(病気や境遇)への理解の糸口をつかめるんじゃないかなぁ?
私は、そう考えて、できるだけ普段と違う体験(特に不快な体験)をしたときには、「不快だ!」ですまさずに、誰かの疑似体験へと発展させて、自分自身の経験値(?)を上げるようにしています。
世の中のたくさんのフツウでない人(病気の人、障害者、外国人etc)のことを理解する糸口って、意外に身近にあるのかもしれませんね。